説教
■ 2015,11,15 世の終わり2015.11.15

 今日のダニエル書(12章)、マルコ福音書(13章)は、いずれも、世の終わりについて、語っています。イスラエルの旧約時代の人々や、イエスがなくなって間もない頃のキリスト教会においては、世の終わり、終末ということが、話題とされていました。
 終末、それは、どういう意味を持つものなのでしょうか。
 仏教にも、末法という世の終わりを示すことばがありますね。
 終末というと、世の終わり、人間が裁かれる最後の審判の時、というイメ−ジがあり、そのイメ−ジには、重く暗いものがあります。
 イエズス会の神父であり、世界的生物学者であったテイヤ−ル・ド・シャルダン(1881〜1955)は、世の終わりとは、愛の完成の時である、と予言しました。そして、シャルダン神父は、すべてのものは、進化しており、進化の完成が終末であり、それは愛の完成である、と明るい楽観的終末論を、述べたのです。
人間をはじめすべての生物は、進化しており、宇宙も、人間社会も、科学技術も、そして、人間の心も進化している、と述べたのです。
では、進化とは、なんですか。それは、より良くなっていく、より善いものとなっていく、ということです。
 人間の心は、時代と共に、進化し良くなっていると云うと、みなさんは、現代の世相を見て、とても、そう思えない。人間の心は、どんどん 悪くなっているのではないか、と思うかもしれませんね。

 教皇フランシスコは、神を信じキリストに従っていく者とは、すべてのことを祝福し、神の憐れみ、ミゼリコルディエに よって生かされている生き方をする者のことである、と繰り返し強調されています。すべてのことを祝福していける生き方、これが「進化」「進歩」なのです。
 許しあうことが出来る生き方、いつも喜びを持つ生き方、これも「進化」「進歩」の生き方です。
 新約聖書の最後の書である「ヨハネ黙示録」14章には、世の終わりに、14万4千人が救われる、と記されていますが、これは、神のみ旨を行い、善い生き方をするものが、神の救いにあずかることを述べたもので、数を限定するところに、強調点があるのではありません。
 神のみ心に叶う生き方、それは、すべてのことを祝福に変えていく生き方をしていくこと、人の救いに心を向けていく生き方をしていくこと、そして、愛を完成させていく生き方ということなのです。これが、終末生きるということに他なりません。



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